第三話 死人茸

1.憑きもの


 黄褐色のロウソクが灯る。

 火をつけたのは、深い網代笠を被った小柄な雲水だった。 

 (やっとそれらしい奴が出てきたか……けっこう年だな) 滝は、笠の下に見える、白い髭を蓄えた口元を一瞥する。

 雲水は、懐に手を入れると一枚の紙を取り出して、ロウソクの前に置く。

 (坊主の出す紙……お経か?) 目を凝らして見極めようとするが、整然と活字が並んでいることしか判らない。

 「これはな、ある男の診断書じゃ」

 雲水はそう言って、ある文字を示す。 

 『脳腫瘍』

 「……」 どう応じたものかと滝と志戸が思案している間に、雲水は話を始めてしまう。

 「わしがこの男を最初に見たのは、ある医院の待合室じゃった……」

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 「検査の結果を説明します。 お掛けください」

 若い医師は、CTの写真をバックライト・ボードのクリップに挟みながら椅子を示した。

 (息子がいれば、このぐらいの年だったろうか) 初老の男は、神経質そうな医師の顔を見ながら思った。

 「ご家族はいらっしゃいますか?」

 「え? あ、いえ。 一人です、今は」 心を見透かされたような気がして、ちょっと慌てた。

 医師は、診断書とレントゲン写真を交互に見て、男に向き直る。 そしてCTの写真を男に示し、感情を交えずに話しはじめる。

 「さて、時折差し込むような痛みがあって、だんだんひどくなるということでしたが。 これを見てください。 あなたの頭のこの

部分ですが……」

 (死刑の場合、裁判官は判決を最後に言うんだったな……) 男の不安は的中する。


 「たーさん?大丈夫?」 艶っぽい化粧のママが、初老の男に声をかける。 「飲みすぎよ」

 「あー?」 男は顔を上げる。 火を噴きそうなぐらい、顔が赤い。

 「そんなに飲んじゃ体に毒よ」

 「毒……はっ。 そりゃいいや、どうせ死ぬなら酒ので溺れ死にたいや」

 「ちょっと、たーさん?」  

 「へっ、お気の毒ですが長くて半年の命だぁ。 人のことだと思って気楽に言いやがって。 紹介状だぁ? 直らない奴の面倒見るのが

嫌だから放り出したいだけだろうがぁ」

 「たーさん…… 病院で何を言われたのか知らないけど、短気を起こしちゃ駄目よ」

 「けっ。 どいつもこいつも……」


 飲めない酒を無理にあおっても、気分が晴れるはずもない。

 半分追い出されるようにして、男は店を出た。

 よろめきながら、あてもなく町をさ迷う。

 「おっと……ああお坊さんですか、すみませんねぇ。 おっと……ああカーネル・サンダースさんでしたか、こりゃどうも」

 いろんな物にぶつかり、謝りながら、彼は次第に人気のないほうにやって来た。

 ヒョウ…… 一陣の冷たい風が頬を撫で、酔いが半分ほどさめた。

 無意識気に右手をポケットに入れると、覚えのないマッチブックが指に触れた。 男は深く考えずにそれを取り出し、文字を読む。

 「バー・マジステール……」


 おぅ……

 背後から女の声がして、彼は振り返り、頓狂な問いが男の口から滑り出る。

 「……あんた誰?」

 奇妙な女だった。 薄汚れた流行おくれのワンピースを纏い、色のさめたローヒールの靴を履いている。 そしてその顔……腰まで

長く伸ばした髪で、顔の上半分が隠れて目元が全く見えていない。

 「……」
 彼は無遠慮な眼差しを彼女に投げかけ、酔いの回った頭で考える。 (頭がアレか? そういや昔、そんな女が食うために『立ちんぼ』

やっていたとか。 ああ、それで俺を客に、なるほど)

 勝手に失礼なことを考えながら、男は女を品定めしはじめた。 前髪は黒い糸の滝の様に顔を覆っており、白い鼻梁で滝が二分され、

その向こうで赤い唇が笑みの形を作っている。

 (こりゃ……格好は変だが、結構いけるか?)

 鼻も、口元も見事に整っている。 体つきをよく見れば、胸元はきつく張り詰め、腰は見事にくびれており、まともな格好をさせたらモデル

と言っても通じるかもしれない。

 (へぇ……)

 おぅ……

 女は彼に呼びかけ、すいと手を差し伸べてきた。 間違いなく彼女は彼を誘っている。

 誘われるまま、彼は彼女に歩み寄った。

 ふわり……

 深い胸元の奥から、不思議な香りが漂ってきて彼を包み込む。

 (あ?……)

 すうっと現実感が薄くなり、彼は夢の中に踏み込んだような錯覚に襲われた。   

 
 するり……

 女がワンピースを脱ぎ落とすと、襤褸の下から抜けるような白い肌の女体が現れた。

 こぅ……

 女が鳴いた、彼は心の片隅で思いつつ、彼を招く白い女体にするすると引き寄せられた。

 ほぅ……

 白い乳房の谷間が男の頭を迎え入れると、不思議な香りが濃くなった。

 男は赤子に戻ったかのように女の谷間に顔を埋め、肉体の欲するままにその白い丘を吸い、舐め、擦り寄る。

 ふわり、ふわり……

 柔らかな果実は、男の視界の中で軽やかに舞う。 そのまま二人はゆっくりと倒れ、一つに重なる。


 女の体は異様なほどに柔らかく、組しいた男の形にへこみ、男を離そうとしない。

 男と一つになろうと言うのか、しなやかな手足が男に絡みつき、深く男を誘い入れる。

 はぁ……

 しっとりと濡れる女陰が、萎えて久しい男根を吸い込むみ、暖かい淫液をひたひたとこぼす。

 陰嚢が暖かく濡れる頃、男のイチモツは若かりし頃を思い出し、赤銅色の金棒となって女を突く。

 あぁぁぁ……

 男が突くたびに、女が歓喜の声で鳴き、その声がまた男の煩悩をたぎらせ、熱く猛る肉棒が、容赦なく女の中をえぐる。

 しかし女の中もまた、果てしなく柔らかく男のそれを受け止め、あやし、飴を舐めるように根ぶってきた。

 うっ?……

 熱く溶けた女の柔肉に巻きつかれ、男は腰が蕩けていくような異様な快感に襲われた。

 異変を感じて顔を上げようとすると、今度は両の乳房が顔に粘りつき、谷間に頭を挟み込んで放さない。

 うっー……うううっー……

 じたばたと暴れるていると、あの芳しき香りが鼻腔を満たすのを感じた。 途端に失せて行く理性。

 数瞬の後に男は女を求める獣に戻り、全ての憂さを忘れて女を貪る。

 くぅ……くぅぅぅ……

 喉を鳴らして女は喜び、乳を震わせる。 男はその感触と香りに酔いしれて、激しく精を放つ、幾度も、全てを忘れて。


 (う?……)

 どのくらいたったのか、気がつけばすっかり興奮が冷めている。

 男は手を突いて、白い闇から体を引き剥がすように起こすと、絡み付いていた女の長い髪が、彼の体を滑って黒褐色の筋を幾つも残した。

 筋を手で拭うと、指先がその色に染まる。

 「染め粉か?」

 してみると、女は髪を染めていたのだろうか。

 そちらに目をやれば、横たわった女の顔の半分は髪に隠れたままだ。

 「……」

 男は手を伸ばし、女の顔にかかる髪をゆっくりと払う。

 「ひっ! ひぃぃぃぃぃ!」 恐怖の声をあげ、男があとずさる。

 女には目が無かった。 それがあるべき場所には、ただかすかなくぼみがあるだけ。

 おぅ……おぅおぅおぅ……

 口を笑みの形にして女が鳴いた。 彼には、それが満ちたりた鳴き声の様に聞こえた。 そして……

 「うわぁぁぁぁぁ!」

 女の体がしぼんでいく。 厚みが減って、骨が浮きで出て、白い肌が崩れていく。

 カチカチカチカチカチ…… 

 その不気味な音が、自身の歯の根が鳴っているのだと男が気がつく頃、女の体は崩れてなくなり、ただ白い骨が横たわっていた。

 街中の小さな川の河川敷、そこで白い骨を見て恐怖に震える男、その彼を川向こうから一人の雲水が見つめていた。  

 「憑かれたか……南無」
 
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